高校生の時に出会い、強い影響を受けた一冊『二十歳の原点』。今年、新装版が出版されたらしい。なんだかとても懐かしく思う。
http://www5.plala.or.jp/ginnga2000/sihenotabi-takanoetuko.htm
( 二十歳の原点と高野さんについて )
当時、理解することと理解されることについて真剣に悩み考えていて、大学ノート1冊くらいそのことについて書き綴っていました。『二十歳の原点』に出会ったのはそんな時期で、著者の高野さんが二十歳で自殺してしまったことに、自分の悩みを重ね合わせて、その自殺の背景を想像していました。
誰を理解することもかなわないし、誰からも理解されることはない。そもそも理解しあえることは幻想に過ぎない。だから孤独なのだと。単純なだけに、陥ると抜け出せない思考に囚われ、自殺してしまったのではないかと思っていた。そしていつか自分もそうなるのではないかと思っていた。
今でも「理解」ということについて考えることは多い。ただ自分の答えは見つけているので悩むことはない。しかし、いつの時代も、特に思春期の世代は「理解」について意識せずとも困難を体験するものだと思う。私は『二十歳の原点』に出会い、理解することと理解されることの困難について意識するようになった。けど、正直『二十歳の原点』は毒にも薬にもなる取り扱いの難しい本だとも思う。
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