2010年10月31日日曜日

ウルスラの悩み


(魔女の宅急便:ウルスラの絵 出展はコチラ

上野のシャガール展に行ってきた。評判通りの充実した内容でとても良かった。

シャガールを観ると魔女の宅急便のウルスラの絵を思い出します。描きかけの絵を前にしてウルスラが自身のスランプを語るシーンは映画の中で最も印象に残っています。

これまで描いてきた絵が他の誰かの真似だったと気付いたウルスラ。そこから再び描き続けることが困難になってしまったウルスラ。きっと多くの人が「分かる」心象だったと思います。

最近読んだ諏訪哲史の『アサッテの人』も同様の心象を描いた作品だったと思います。それは自分特有の社会に対する反発表現であったはずの「アサッテ」が、他人の「アサッテ」を目撃することにより「アサッテ」に対する意識が生まれ、自然であったはずの自分の「アサッテ」が出来なくなってしまうという話です。

アイデンティティの喪失は他の誰かを意識してしまうことにより簡単に起こってしまう。そういうことが二つの作品から読み取れます。

現代社会は情報過多で、自分で書いた文章でも、考えた意見や創造した作品でも、それと酷似したものが容易にネット上で検索可能で、はたして何が自分の本当の表現なのか分からなくなります。そもそもオリジネイターとしての自分なんてありはしないのだとも思えてしまう。

実は、表現を試みるものにとっては過酷なまでに試される厳しい環境なのかも知れないと思います。


ウルスラが立ち直るきっかけとなったのは、同じようにスランプに悩むキキの顔を見たことによって。人間は自分が辛いとき、他の誰かが困難な状況にあるのを見ることによって回復できる能力を持つものだと思います。

でもこれは決して残酷な本能ではなくて、マイナス×マイナスがプラスになるように、上手くすれば互助効果を持つものだと思います。ウルスラとキキの場合はそうだった。少なくとも人の不幸を喜ぶことが本能だとは思いたくないです。


シャガールの作品は相変わらず優しかった。「憂鬱と優しさと同義」以前に何度かそう書きました。私にとってシャガールの表現はそれが最大です。

2 件のコメント:

  1. 青森県には、シャガール常設をメインにした美術館があるよ!
    かなり大きな絵で、じーーっと眺めていると、いろんな発見がある。空の色が好き。

    返信削除
  2. コメントどうもありがとう☆青森かぁ。東京からだとちょっと遠いけどいってみたいね。教えてくれてありがとね!シャガールの色いいよね、好きです。

    返信削除