東京新聞 2017.03.12
東京新聞日曜朝刊。貴戸理恵先生のコラム。貴戸先生の視点には毎回ハッとさせられる。
先生の勤める大学では、学生のための資格取得や、留学、ボランティア活動紹介などの様々なサポートがあるそうだ。学びたい学生にとっては勿論ありがたい制度なのだけど、一方で「何かしなければ」という焦躁にさらされているようにも見えるという。
「何かしなければならない」。これは学生に限らず、というか僕にも何だか覚えのある感覚だ。僕がこの感覚を感じたのはSNSが普及して、友人やその友人の友人など、知っているから知らない人まで、さまざまな人たちの「何かしている」情報がなだれ込んできたから。
それは人の生活に好奇心をそそられる以上に、焦躁というか息苦しさを感じさせた。何となく「このままじゃよくない」「取り残される」という不安が広がり「何かしなければならない」と思うようになった。結局、僕はこの不安から逃げるためにSNSをやめた。
確かに「何もしない」と損することもある。新技術や新情報はキャッチアップしないと「差」がつく面があるのも否定できない。貴戸先生は「常に何かの「ため」に動いている状況は、疲れる。効率や便利さばかり求めるのではなく、「ただ在る」ことの意義をもう一度見つめなおしたい」という。正しい、正しくないの問題ではなく、一考に値する問いだと思う。
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