2017年2月6日月曜日

組織と言論

東京新聞 2017.02.06

今朝の東京新聞。宮古さんのコラムを読んで、考えさせられた。組織に属する個人にどの程度まで自由な発言が許されるのかという問い。

僕は2年前まで東電の子会社で働いていた。仕事は自治体の環境学習施設を指定管理者として運営することで、原発問題について気を使うことが多くあった。施設としては自治体の方針で「中立」を求められたが、原発反対派の個人としてこのブログやSNSでどこまで発言してよいのかとても悩んだ。

結果として、Web上では原発問題に触れず、自然エネルギーを推進する投稿はしたが、直接的な反原発の投稿をすることがなかったと思う。その理由は、

⑴個人的資格
東電の子会社ということで、そこで給与をもらっている自分に反原発を公の場でいう資格は無いのではないかと葛藤していた。仮に同じ立場の人間がそういう発言をしていたら、僕は嘘くさく思ったと思う。

⑵施設の性質
原発に対し「中立」を求められる公立施設の運営職員として、Web上での発言は個人としての発言であってもそうは見做されない懸念があった。僕の発言が問題視されると他の職員にも迷惑がかかると考えた。

上司の存在
上司が面倒見の良い気さくな方でとても良い人だった。その上司は原発推進の考えを持つ人で、僕が反原発の考えを持っていると知っていたが、そのことで関係が悪くなることがなかった。なのであからさまに突っかかって議論となることを避けた。

今でもモヤモヤとしてスッキリしない。結局あやふやなまま問題となることを避け続けただけの様な気がする。自然エネルギーを推進する活動に投資や関わることを心の免罪符にしていたのも間違いないと思う。ただ、葛藤すら無かったのではないことは良かったと思う。

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