ドキュメンタリー映画「すべての政府は嘘をつく」を観てきた。この「すべての政府は嘘をつく」というのは、故ジャーナリスト、IFストーン氏の言葉。映画は、IFストーン氏が残したジャーナリストの在り方をベースとして、大手メディアに属さないジャーナリストたちの活動と視点で、権力の「嘘」に切り込んでいく。とても見応えがあり、かつ考えさせられる内容だった。
また、上映後に東京新聞記者の望月衣塑子氏とアップリンク代表の浅井氏の対談があった。対談の中で、望月氏は人として「おかしいことはおかしい言いたい」というような発言をされていた。僕も同様に思っているのだが、最近は「おかしいことをおかしい」と言っても、それが響かない社会に変容してきているように感じている。
いわゆるまっとうな意見といったものが、シニカルに受け止めれてしまう社会。「意識高い系」なんていう意識の低すぎる言葉が、とても低いハードルで使われてしまっている社会。そんな状況に対して、ストレートに議論をぶつけることの有効性が問われているような気がしてならない。
そんな中、望月氏の原案で映画化された「新聞記者」の予想外のヒットは、まっとうな意見を社会に響かせるための、一つの効果的な手法を社会に提示したように思う。それは「アート」の持つチカラ。映画「新聞記者」は、映画として普通以上に面白い。サスペンス映画としてとても秀逸な作品となっている。そして公開1ヶ月で30万を超える動員をし、興行収入も4億を超えた(3億を目標としていたらしい)。
今日の対談で、望月氏も「新聞記者」のことに触れた。あの作品は関わった人たちが、安倍政権下で起こり、無かったことにされているさまざまな問題を、そのまま風化させてはいけない、という想いで、参院選まえに公開したということだった。そして、作品は多くの人に届くという結果となった。
「すべての政府は嘘をつく」というように今後も権力は「嘘」をつくことは間違いがないと思う。その「嘘」は、ジャーナリストの取材によって看破され、常識的な判断をできる人なら大抵「おかしいだろ」と見抜けるようなものだと思う。見抜いた先に、それをどう共有し、政権批判をするチカラに育てていけるか。映画「新聞記者」のヒットは「アート」の持つチカラと可能性を投げかけているように思う。
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