2019年10月17日木曜日

権力と新聞の大問題


先日、映画「すべての権力は嘘をつく」を観て、上映後の望月さんのトークショーを聞き、それ以来、彼女の著作を「新聞記者」「しゃべりつくそう私たちの新フェミニズム」「同調圧力」と続けて読んだ。それぞれ内容が重なる部分があるが、興味深い内容でジャーナリズムについて考えさせられると同時に、日本のジャーナリズムの危機的状況に頭を抱えてしまう。

一番印象に残ったのは、日本の権力による圧力は、中露米のそれと比べるとぬるま湯程度のものであるという指摘。これは、共著者のニューヨークタイムズ記者マーティン・ファクラー氏が語っている。それなのに、日本ではそのぬるま湯程度の圧力に屈してしまう。それが一番危機的な状況ではないかと思ってしまう。

日本は企業社会で、ジャーナリストといえでも企業に所属している限りサラリーマンである。そうすると、会社や上司の意向に逆らってまで取材をすることは、進退にかかわることで、養うものがいる状況になるとどうしようもなくなってしまう。権力はそのことを熟知しているから、会社のトップに甘い汁を吸わせて権力に取り入れ、骨抜きにしてしまう。とてもシンプルで狙いが確実な構造がここにある。

一方で、ITを駆使し、直接市民をスポンサーとして経営を始める、真にインディペンデントなメディアの萌芽があることを紹介して、そのことに期待もしている。確かにそういったメディアは必要だ。またそういったメディアが育っていくことと、民主主義が育っていくことは相互補完的な関係になるだろうとも思う。

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