東京新聞 2019.10.30
大学入試の英語民間試験導入は、荻生田大臣の「身の丈」発言に批判が集まり今回は見送られることになった。どう考えても平等性が担保されないばかりか「格差」拡大に繋がりそうな施策なので、熟慮を要する当然の判断だと思う。
そして、今回の件をきっかけに7人に一人が「貧困」といわれる子どもの貧困問題や、拡大する経済格差についても、もっと深刻な問題として捉えて社会的に意識を喚起する必要があるのではないかと思う。
先日読んだ「東京貧困女子」もその前に読んだ「子どもに貧困を押しつける国・日本」も、拡大する経済格差は現実の問題であり、そしてそれは政府の(意図的な)施策によって社会構造化されてしまっていることを指摘している。
私は以前、経済的に困難な家庭の中学生を対象とする夜間無料学習教室の運営に携わっていたが、そこでも実際に経済的な理由から民間の受験模試を受けられない生徒が複数名いた。さらに、ある検定試験に今回受からなかったら、親から次はあきらめろと言われている生徒もいた。
いくら生徒本人にやる気があっても、それがそれほど高くないと思われるお金の問題で挫かれてしまうのは、もはや社会の底に穴が開いた状態なんだと思う。落ちたら這い上がれない。それが現実。
若者や真面目に働く人たちを犠牲にして成り立っているようなこんな酷い社会でも、そのことによって利益を得ている層が、実際の権力を手中にしている限りは本当に望みがない。選挙という手段が効果を生むと考えるには、市民の政治リテラシーが遠く追いついていない気がしてならない。書いていて滅入ることばかりで自分でもうんざりする。
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