2010年5月28日金曜日

『天地明察』

今年の本屋大賞受賞作『天地明察』読みました。実在した登場人物たちの生き様に感動と興奮がとまらなかった。


(冲方丁『天地明察』角川書店)

日本独自の暦をつくる。一世一代の大勝負に全てを注ぎ込んだ渋川春海。その生涯を、ライバル、恩師、恋人、時の権力者など、さまざま人物との出会いを織り込みながら描いた歴史小説。エンターテイメントとしても超一級の作品。

数百年も前の人物が現代に鮮やかに蘇える。一つ一つの情景が目に浮かび、無言のやり取りさえ耳に聞こえる。すべてがまるでここで起こっているような気がしてしまう。きっと読み手の想像力なんかは超えている。文章の力ってすごい。小説家ってすごい。心からそう思える一冊だった。

読み終わったしまったのが何だか夢のような気持ちが続いている。この本は多くの人と共有したいと思う。そして夢の続きを話したいと思う。

2010年5月27日木曜日

フェアトレードを知る

今月のJICA's Worldでお世話になっているNPOが紹介されていました。



このNPOではシングルマザーの自立支援プロジェクトが2009年9月から現在まで継続して取り組まれています。プロジェクトの内容は、お母さんたちへフェルトの製品作りの職業訓練を実施し、製品の販売を通じて自立支援をするというものです。フェルトやカシミアなどモンゴルならではの素材を使って製品を作ります。完成した製品は、日本国内のリサイクルショップで販売されています。販売先はコチラ

この活動、いまやメジャーとなったフェア・トレード的な要素がいたるところに見られます。公正な価格(意図的な搾取が無く、生産者との対話での決定)で取引されていること。シングルマザーという社会的弱者層を支援していること。生産の手段(技術、設備、資源)が生産者にあること。などです。継続的な取引(販路)についても前向きな努力が見られます。そして何より、この活動によってお母さんたちがとても元気になり、活き活きとした表情で仕事に取り組むようになりました。私はプロジェクトが始まる以前からこのNPOに顔を出しているのですが、雰囲気が本当に明るくなったと感じています。

学生時代にフェア・トレードを知り、本を読んだり国内の販売店をまわったり、講演会への参加や主催者となっての普及活動をしてきました。そしてほとんど知った気になっていました。それは間違いではなかったのですが、こうして実際にゼロから始まり、軌道にのっていく様子を近くから見ることによって、また深く知ることが出来たように思います。長期滞在者ならではの貴重な体験だと思います。学んだことをここで一つ一つ書くにはまた整理の時間が必要です。それは後日の課題にしたいと思います。

2010年5月25日火曜日

好きな作家が増えました☆

黒野伸一さんの小説を二冊続けて読みました。二冊とも息継ぎせず一気に読みきってしまった。ちょっともったいなかったな。


(黒野伸一『万寿子さんの庭』『坂本ミキ、14歳』小学館文庫)

『万寿子さんの庭』は78歳の粋なおばあちゃんと二十歳のOLの友情のお話。『坂本ミキ、14歳』は家族の成長を描いたホームドラマ。

どちらも文章にリズム感があって楽しい。思いやりのある言葉たちが温かい。少し笑えるし少しほろりとしてしまう。読後に気持ちの良い余韻が続く物語だった。読書が趣味って言えるのはこういう小説があるおかげだなと思う。

黒野伸一さんの次の作品を読むのが楽しみだ。好きな作家やアーティストが増えることってとっても嬉しい。

英語の勉強

英語学習のため映画をよく見ています。勿論字幕無しです。よく分かったことはイギリス英語は聞き取り易く、アメリカ英語は難しいこと。ヒュー・グラントの英語はほとんど分かる。ジョン・キューザックは5割くらいかな。

ちょっと前の恋愛映画をたくさん見ています。アクションやホラーとかよりはいいと思ったので。英語の勉強には。

◆ノッティングヒルの恋人


これは分かりやすい。90%は理解できる。ジュリア・ロバーツも聞き取り易かった。

◆セレンディピティ


だいたい分かる。70%くらいかな。早口になると難しい。そこをクリアーしたいと思う。

◆ラブソングができるまで


やっぱりヒュー・グラントは分かりやすい。この映画を見ると所沢のTを思い出す。

たぶん続かないですが、この調子で見続けようと思います。

2010年5月24日月曜日

美しいまちなみ特別賞受賞☆

葛飾柴又帝釈天が国交省の美しいまちなみ大賞の「特別賞」を受賞しました。関連記事はコチラ。故郷の受賞は嬉しいのですが、国交省の賞であることを考えると複雑です。

◆帝釈天と言えば寅さん。「男はつらいよ」は父の影響で全作見ました。


◆江戸川の河川敷は最高。遮るものの無い空は爽快。(実家から徒歩1分の景色)


◆夏の花火大会。河川敷が広いのでのびのび観れます。


でも、故郷の景観はこの10年でだいぶ変わってしまいました。この地で産まれ育った父に言わせるとこの40年でだいぶ破壊されたとなるのですが。特に自然環境は激変しました。管理されたものになり、無機質な感じがするようになりました。いまもスーパー堤防という税金の無駄遣いとしか思えない公共事業が入っています。

ともあれ、帝釈天や江戸川はとってもいいところです。ぜひ遊びに来て下さい。日本にいるときは案内します。

2010年5月23日日曜日

偶然の一日

今日は散歩のエントリーを書きました。そしたら何と同期の隊員も散歩のエントリーを書いていました。それも二人。偶然ですね。

O隊員のブログ 道~la strada~ はコチラ

Y隊員のブログ モンゴルらいふ はコチラ

二人とも地方都市の隊員です。なので少し歩くとそこは平原。UBにいるとちょっと羨ましいなと思います。遊びに行きたいな。

偶然は重なります。今日、偶然の出会いをテーマとした「セレンディピティ」という映画をみました。その後、友人のブログをみたらそこには何と偶然の出会いについてのエントリーが。びっくり。面白い一日でした。

S君のブログ T25 -日本とBerlinと- はコチラ

おやすみなさい。

LUST LUST LUST

The Raveonettes のアルバム「LUST LUST LUST」がいい。かなりの傑作だと思う。デンマーク出身のバンド。ちなみにLUSTって英語だと「肉欲」ドイツ語だと「(~したい)気持ち」っていう意味。



(2曲目のHallucinations )



(4曲目のDead Sound)

ひょろんって立ってるドラムがいい。

伝統は革新の連続。京都日吉屋

今週の日経ビジネス。「伝統は革新の連続」である、との持論を持ち、和傘の技術で世界に打って出る京都の老舗「日吉屋」。その紹介記事。



伝統は守るためには変わらなくてはならない。逆説的なようだけどこれはもう事実。多様性を受け入れることによって伝統は時代の最前線で活きる。そして生き続ける。



和傘の伝統技術を活かした照明「古都里」。名前も素敵だ。



HPを見てたらほしくなってしまった。日本帰ったら買おうかな。読書が楽しくなりそうなあかりだ。目は悪くなりそうかな。

和傘に限らず日本の伝統文化は技術的にもデザイン的にも世界的にすごい高い水準にある。だからこそユニバーサルに通用するのだと思う。少し残念なことにそのことは日本人以上に海外の人の方がよく知っている。

伝統は革新の連続。もっともっと出てくると期待している。

朝の散歩

昨日は超突風が夕方くらいまで続いて職場から帰れなかった。それに比べて今日は快晴。そして涼しい風が吹いて気持ちの良い朝。気温は6℃。絶好の散歩日和。新緑を撮ろうとカメラ片手に朝の散歩。

が、しかし、バッテリーが切れていることに気付いて軽くショック。ほとんど写真が取れなかった。くすん。


◆ほんとに気持ちの良い朝。


◆緑も元気。私も元気になる。


◆雲が白いと空が高く感じる。



今日はずっとオービタルを聴いていた。ケミカル、アンダーワールド、プロディジーとならんでテクノ四天王と呼ばれている。一番ミステリアスな感じのするオービタルが人通りの少ない涼しい朝に似合う。そう思った。

バッテリーの充電が終わったらまた散歩しようか。読書しようか。

2010年5月19日水曜日

自販機もエコ化

自販機を利用したヤンバルクイナの生態調査が始まるらしい。自販機に録音危機を取り付け、泣き声を記録し解析するみたいだ。新たに危機を設置するよりコストはかからないし、自販機の付加価値を考える面白い取り組みだと思う。自販機って日本的なものだし。詳しくはコチラ

日本全国に自販機がどれだけあるか気になったのでググってみた。飲料自販機だけで250万台を超えてた。データはコチラ。そういえば日本の全自販機稼動のために原発一基必要って話を聞いたことがある。本当かな。

データをみるとカップ販売方式の自販機が前年度比140%で増えていることが分かる。これはカップ販売方式のほうが安い(量は少ない)からだと思う。でも消費がそこに向かう思考に、エコ対応というのも読み取れる気がする。

私は最近すっかりエコ的な生活から離れてしまって反省しているのだが、ちょっと前はエコにうるさかった。その時は自販機はカップ販売方式しか利用していなかった気がする。(カップ販売方式がどれくらいエコなのかは不明)これからカップ販売方式は屋内施設を中心にシェアを拡大していくだろう。そして中身だけを販売するタイプも増えてくれると思う。私ももっとエコになろう。

ゲル地区開発のための調査報告書

オフィスに行くとなぜか「Enhancing Policies and Practices for Ger Area Development in Ulaanbaatar」という世銀の報告書がデスクにおいて置いてありました。興味深いレポートなので関心のある方は読んでみて下さい。

ダウンロードはコチラ。(リンク元:世銀HP)

これを読むとUBは三重構造だということが分かります。

2010年5月18日火曜日

チェコの国旗

明日チェコの首相が来蒙します。スフバートル広場にチェコの国旗が掲げられました。チェコの国旗って好きだな。

植林の日

モンゴルでは5月と10月の第二土曜日は「植林の日」です。今年になって制定されました。そういう訳で先週末は大々的に植林が実施されました。



植林されたのは松や柳などの苗木130,000本。どおりで先週は苗木を持った人が多かったわけだ。知り合いに聞いたら苗木ビジネスも潤っているみたいです。

モンゴル人はやるときは一気にやりますね。本気を出すと一丸となって動くことがよく分かりました。

2013年には市内に森林公園をつくる計画です。これはもうつくってもらわないと。環境教育のいい現場になりそうです。

ちなみにこの計画は市役所の環境保護部がイニシアチヴをもっています。私の配属先は環境汚染廃棄物管理部。それとは別に環境保護部なるものがあります。できればそっちで働きたかった。

2010年5月17日月曜日

アイアンマンとちいさな幸せ

日本では6月11日封切りの「アイアンマン2」を見てきました。ちなみに1は見ていません。



このシリーズにはグィネス・パルトローが出ていたのですね。知らなかったのでびっくりしました。グィネスは「スライディング・ドア」でファンになった女優さんです。スライディング・ドアは佳作だと思います。



アイアンマン2は結構面白かった。立体的なスクリーン操作をするパソコンみたいなの(上手く説明できない。。)なのがつぼにはまった。ああいう技術はもうすぐリアルになるんだろうな。あと、スカーレット・ヨハンソンが強くてかっこよかった。

スカーレット・ヨハンソンといえば「ロスト・イン・トランスレーション」。この映画のTOKYOの雰囲気は好きだ。日本人には描けない独特の雰囲気がある。



と、映画から映画へと紹介をしてみました。


今日は嬉しいことがあった。大学の親友Hから突然電話がかかってきた。前にウガンダから電話をくれたAもそうだが、スカイプがあるのにわざわざ国際電話をかけてきてくれるの嬉しい。家族でも恋人でもないのに、そしてたいして意味もないのに電話をかけてきてくれる男友達がいることは幸せなことだと思った。


追伸:ブログのエントリーに新しく「ちいさな幸せ」というラベルを作りました。ブルーハーツの情熱の薔薇の歌詞「なるべくちいさな幸せと、なるべくちいさな不幸せ、なるべくいっぱいあつめよう、そんな気持ちわかるでしょ」から参考にしてます。

2010年5月16日日曜日

なきむし君

私は泣き虫です。昔っからなのですが、すぐ感動して泣いてしまいます。どれくらい泣き虫かを説明するときによく例に挙げるのがジブリ作品。

魔女の宅急便・・・3回
耳をすませば・・・2回
紅の豚・・・1回
トトロ・・・1回

何度みてもこれくらい泣いてしまいます。その他、漫画や小説、絵画や音楽などあらゆる分野で泣き虫です。

で、今日は重松さんの『くちぶえ番長』を読んで号泣しました。



とってもよい本です。右の『相対性理論を楽しむ本』もとても面白い本だった。

一応、感動できるって才能だと自己評価しています。

初雨@UB

(正確には初ではないのだけど)初雨が降った。



雨が降るのはとても久し振りで嬉しかった。草木の喜ぶ声も何だか聞こえてきそうなくらい。日本ではあまり雨の存在を感じていなかったような気がする。雨って生きものにとってとても大切なものなんだって分かった気がする。


UBはグリーン首都を目指していて、ちょうど今が植林シーズンです。連日苗木を持った人を街で見かけます。モンゴルでは森林法で16歳以上の市民は植林をする義務を定めています。これを知ったときは驚いたけど、面白い法律だなぁと思います。



これからも雨がいっぱい降って、緑がすくすく育つといいな。

子どもの遊具作り

5月16日午前10時。UBは今日も快晴です。気温は19℃。仕事を片付けにオフィスに来ています。日曜のオフィスはがらんとして静か。普段は1000人くらい人がいるのに。

昨日の散歩の続き。子どもの遊具を作りに、お世話になっているNGOにいってきました。



この写真から何が作られるかわかりますか?日本の公園(都内では)でよく見かける遊具です。鉄板や木版を切ったり、ドリルで穴を開けたり、セメントを流し込んだりと、炎天下のなか作業をしました。



途中、溶接加工をお願いしに近所の工務店に行きました。子どものためならお金は要らない、と無料で快く仕事をしてくれた工場のおっちゃんが印象的でした。いい社会だな。そういえば子どものとき、うちの近所の工場も子どものために無料で工場見学を受け入れてくれたな。そんなことを思い出しました。

作業は6割がた終了。次回の作業で完成させる予定です。

2010年5月15日土曜日

朝の散歩

朝8時から2時間くらいゆっくり散歩した。気温は20℃近かったと思う。爽やかで気持ちのいい散歩だった。

モンゴル語の広告。古い。空が青い。


モンゴルらしくない建物。会社のオフィスだと思う。


ホテル。普通くらいなレベルだと思う。


一般的なアパート。カクカクしてる。


ちょっと豪華な本屋。うちからだと遠い。残念。


これで「ヤポン=日本」て読みます。となりの横断歩道の標識は意味不明。


やけに傾いてる電柱。


解体途中の廃屋。こういうの市内にたくさんある。


スーパーマーケットって書いてある。



ストーンズ、ストゥージーズ、ジョニ・ミッチェル、ジョイ・デヴィジョンを聴きながら散歩した。ジョニ・ミッチェルの「Blue」が思いのほか朝の散歩に似合って、意外な発見をした気分になった。いままで一人きりの夜にか聴いたことなかったのに。

ストーンズは「Let It Bleed」「Beggars Banquet」を最近よく聴いてる。砂埃がやけに煙ったい春のUBで聴くと雰囲気がでる。身近にこういう話をできる友達がいないのが少し寂しいかな。K平とかAヲが懐かしい。


あと昨夜「学力世界一」というフィンランドの教育についての本を借りて読んだ。


(オッリペッカ・ヘイノネン+佐藤学『「学力世界一」がもたらすもの』NHK出版)

フィンランドの教育の特徴は、1.学校運営の権限は自治体レベルにある、2.教師の資格は大学院卒が必須(1年の実習を含む)、3.メディアリテラシーの重視、読書環境の充実、4.教育機会の平等性の重視、ということになる。日本が参考にするには社会が違いすぎる印象を受けた。

もうすぐ帰国する。いまのうちにもっと散歩して、UBのいまをみておこうと思った。

2010年5月14日金曜日

今年最初の物価上昇

よく利用している食堂が値上げしました。注文する前に「今日から値上げしたけど大丈夫~?」って聞かれました。大丈夫ではないけど仕方ないですね。

UBはすごい勢いで物価上昇が続いていて、赴任してから今回で3度目です。上昇率は10%ほどで、いつも2000Tで食べているご飯が2200Tになりました。現地通貨トゥグルグもドルに対し強くなっているので生活は少し厳しくなってきました。

新聞では一連のインフレの原因を、1.昨年の旱魃と雪害による家畜死亡(750万頭)の影響、2.国民一人当たり120,000Tの給付金支給、3.公務員給与30%段階的引き上げ、と分析しています。

初めて留学した1997年はアジア通貨危機が起こり、その影響を肌で感じることになりました。2回目に留学した2003年は、連日40℃を超える歴史的熱波を現地で体感しました。そして今回も色々な変化を目の当たりにしています。そういう運みたいなものがあるのかなぁ。


最近、スフバートル広場では卒業シーズンなのか、記念撮影がよく行われています。

2010年5月11日火曜日

こういう話はうんざりする

「日本と外国の若者の差がどんどん開く」というコラムを読んだ。猪瀬さんは割りと好きなのだけど、こういう「外国と比べて日本の若者は・・・」という話はちょっとうんざり。まぁ、コラムの伝いたい結論は別のところにあるのだけど。コラムはコチラ

まず、若者だけ比べるのはどうかと思う。例えば若者に「外国のオトナと日本のオトナ」を比べさせたらもっと酷いこと言われると思う。特に企業における管理職あたりの人たちはズタボロに切られるんじゃないだろうか。

そして何でも外国と比べてしまうこと。これは『日本辺境論』では"比べてしまうことが日本人のアイデンティティ"という面白い論があったので、仕方の無いことなのかもしれないが、わざわざ不幸に感じる比較をするのはどうかと思う。

一人でご飯食べるのが怖くてトイレで食べる学生のことを「便所飯」というらしい(随分前に聞いたことがあるような)。まったく酷いネーミングセンスだと思う。こういう言葉をつくってしまうことが本当に問題だと気付かないのだろうか。


仕事帰りの夜のスフバートル広場はいい雰囲気になってきた。

2010年5月9日日曜日

Nの結婚式@明治神宮

先日、仲の良い高校の友人が結婚しました。おめでとう!!



式は明治神宮。この距離の写真ならのせても平気かな。それにしてもすごい人の多さ。たまに明治神宮で式を挙げているところに出くわすけど目立つよね。



この距離でも顔が識別できないからだいじょうぶかな~。普段はボケキャラの友人が凛々しく引き締まって見えます。幸せそうで嬉しいです。写真見ながらにんまりしてしまいました。

式と披露宴で流した曲のセットリストを送ってくれたのだけど、これがウケた。彼はQueenが大好きで(私も彼の影響でよく聴いた)披露宴の締めが「We are the Champions」「God save the Queen」!!これはQueenのライブの締めの定番メドレーなのです。さすがだね☆

帰国したら遊びにいきます。高校の時、よく二人で土手を走ったのを思い出します。家でギターの練習したり、たまにビリヤードしたことがとても懐かしい。しあわせな一日だ。

2010年5月8日土曜日

『TOKYO1969』

ちょっと仕事をしに職場にいったら停電中だった。3時間くらい待っても戻らなかったので、あきらめて帰る。待っている間に読書。日本から送ってもらった一冊。


(立川直樹『TOKYO1969』日本経済新聞出版社)

舞台は1969年あたりの東京。私が産まれる10年近く前の東京。なんか古き良き時代っていうにおいが漂ってきて、とても羨ましい。その時代の東京を、この目でみたかったなと思う。とっても自由な空気がする。

ロック好きの私にとって、1969年っていうとストーンズだったりクリムゾンだったりフーだったりツェッペリンだったりドアーズだったりと、伝説が伝説になる前の日常があって、想像が膨らむ。それだけでワクワクする時代だ。過去のことが新鮮で、好奇心を立てられる歴史のような感覚だ。

そういえばこの年、私の母はちょうど二十歳だった。そして渋谷に住んでいた。母は今でも渋谷に愛着を持ち、都会っ子であることにプライドを持っている。私が子どものころに、本当は(下町じゃなくて)都会に住みたいって言っていたのが記憶に残っている。でもそんな母から東京の話は聞いたことが無い。帰国したら聞いてみようと思う。できたら一緒に渋谷あたりを散歩してみようかと思う。

この本を読んで、19-20のときを過ごしたボーンマスの町を思い出した。そのころ、本当に毎晩パブにいって誰かしらと会ってプールして話をして、そして海にいってまた話していた。携帯無かったから、とりあえずパブにいって人から人へ繋がっていった。それがすごく刺激的でたのしかった。ノスタルジーに浸るのは早過ぎるが、懐かしい記憶をとても喚起される文章だった。

2010年5月6日木曜日

可処分時間と一万時間の法則

暑くなったり寒くなったり、気温の上がり下がりがちょっと激しいなと感じるUBです。今日は日本からの荷物を受け取るためにわけあって自宅か郵便局を三往復するハメになり、さらに受け取れなかったという非効率な一日でした。

気晴らしに日経ビジネスをぱらぱらと読んでいると「エンタメ産業は可処分時間の奪い合い産業」という言葉が目についた。可処分時間。なるほどね~。今日の私は可処分時間の無駄遣いをしたな、と。

時間の使い方しだいで人生は大きく変わるものだと思っています。特にに以前紹介した『天才 成功する人々の法則』を読んでからはタイムマネジメントはスキルとして身に付けなければいけないと思うようになりました。

この本で紹介されている「一万時間の法則」は、ある分野で成功するためには一万時間をその分野に注ぎ込むことが必要条件であるということです。通常、可処分時間が大人よりはるかに多い子どもの方がこの法則を短い期間でクリアできます。だから子どもの時に夢中になれるものに出逢えることは「才能」と言い換えられるのだと思います。その後プロになる確率が格段に高まります。

では仕事とは別に、何か夢や目標を達成したいと思っている大人はこの法則をどうクリアすべきか。8時間(以上)働き、睡眠6時間、食事や風呂、移動などを計算する普通の大人の可処分時間は一日5時間もあればいい方だと思います。一万時間を越えるにはストイックに頑張っても5年以上かかります。

時間を無駄にしてはいけない。という受身の姿勢ではなく、タイムマネジメントという具体的なスキルとそれによってつくられた可処分時間をすべて対象に注ぎ込む意志の力。この二つをどうにかしないと成功は難しいなと思います。

The The Element of Freedom : Alicia Keys

アリシアの新譜がすごくいい。連日繰り返し聴いてます。時間も場所も選ばずにいつもで気持ち良く聴ける本当にいい音楽です。アルバム買って聴いてみて下さい!

2010年5月5日水曜日

GWは無くてもいい

そういえば日本はGWの真っ只中ですね。多くの人は今週末までお休みなのでしょうか?ネットでよく出国や帰省ラッシュのニュースをみます。私は混雑が嫌い(そのくせライブは好き)なので、GWはたいてい長編モノの本を読んで過ごしています。

でもよく考えたらGWはたいしてゴールデンじゃないですね。欧米では休暇は1ヶ月近くまとめて取得するのが当たり前。モンゴル人も同様に夏に1ヶ月近く(以上)ドカーンって休みを取ります。なので一週間や十日間の休みなんてちっとも大型じゃないんです。大型連休って言葉を小さい頃から刷り込みされて、GW程度の連休を大喜びするようになってしまったのかも知れません。

GWを無くして(できればは無くさない)休暇は1ヶ月くらいまとめて取得。こっちの方が理想的に思います。1ヶ月休みがあれば出来ることの可能性がグンと広がる。そう思いませんか?協力隊に参加するほどのボランティアマニアの私なら、丸々一月アフリカに行ってボランティアしてきます。もしくは自転車で日本一周(北海道、東北、関東、中部、北陸、四国、関西、近畿、中国、九州、沖縄とエリア分けして5、6年で制覇)をします。

働き方の見直しを考える一環として、休暇のあり方も見直したほうがいいと思います。世論調査してほしいですね。

アークティック、ハムバグにみる多様性

昨年の私的BEST盤の5位アークティック・モンキーズの三作目「ハムバグ」(詳しくはコチラ)。大学の後輩が買ったみたいなので久し振りに聴いてみた。ちなみにこの友人は同日に私的BEST4位のUtadaも購入してる。いいね。



このアルバムのすごいところはバンドがシーンの第一線で生き残るための"正解"を見事に表現していることだと思う。

その"正解"とは、バンドが鳴らす音楽に多様性を求めたこと。プロデューサーにQOTSAジョシュ・オムを迎え入れたこと。

同じロックだけど全く異質。アークティックのファーストとセカンドからQOTSAの音楽を連想するのは難しい。それなのに結び付き、やっぱりアークティックだなと思わせる新しい音楽を創ってしまったのだからすごい。

多様性があることは生き残るための条件。それは本当に全てのことに共通している。デビューALで大成功し、セカンドも同様の路線で成功を収めるバンドは多い。けど大抵はそこで終わってしまう。

自ら開き、異なるものを受け入れる。すごく意識的に、誰の目にもはっきり分かるカタチで表現したこのアルバムはやっぱりすごい。

2010年5月4日火曜日

『終の住処』

今日のUBは最高気温16℃。少し歩くとシャツが薄っすらと汗ばんでしまう暖かさです。人も屋外で談話を楽しみ、夏に向かい街が急に活気付いてきました。モンゴルは結構何でも急です。変化はもっと緩やかなのが好きですが、仕方ないですね。

第141回芥川賞受賞作『終の住処』を読みました。ここ数年の芥川賞の中では"らしい"作品だと思います。


(磯崎憲一郎『終の住処』新潮社)

話自体はなんとも薄気味悪い夫婦生活を覗き見するような感じでエンタメ性はほぼ皆無。ほとんど日は差さないのに、とてもカラッとした一日が永遠に続いていくような小説。どうもしようの無い雰囲気なのにそれほど苦しくない。日常ってこういうものなのかな、って思ってしまう。

確か、ケン・ローチ監督の初期の作品も似たような雰囲気を持っていたように思う。淡々と物語が流れ、少しだけ起伏を見せて突然プツリという音が聞こえるくらいあっけなく終わる。私の琴線に触れるとても好きな作品です。

昨日のハワリンバヤルが終わり少しほっとしてしまったのか、どうも肩に力の入らない一日となってしまいました。まぁ、それもいいかな、と思います。

2010年5月3日月曜日

ハワリンバヤル@TOKYO

5月2日‐3日。練馬区光ヶ丘公園でハワリンバヤルというモンゴルのお祭りが開催されました。ハワリンバヤルとはモンゴル語で「春の祭り」と言う意味で、毎年この時期、モンゴル人留学生会が中心となり開催しています。

今回、私の同期隊員による「バガノールの病院に医療機器を」実行委員会もブースを出展しました。目的はそのまま「バガノールの病院に医療機器を」贈るための募金集めと、モンゴルの医療事情を来場者に紹介することです。詳しくはコチラ



私たち実行委員はモンゴルにいるため、ブースの出展は日本にいる友人たちに協力をお願いすることになりました。休日にも関わらず、多くの方がお手伝いに来てくれました。暑い中、一所懸命に活動してくれたおかげで、二日間を無事に終え予想を上回る成果を得ることができました!協力してくれたみんな、本当にどうもありがとう☆



ただ募金集めをするのではなく、輪投げ等のアトラクションを用意するなど面白い募金活動です。これは小さなお子さんに大人気だったようです。ブースに足を運んでくれた来場者の7割ほどが募金に協力してくれたみたいです。募金総額は47,369円。全額バガノールの病院への医療機器購入に充てられます。詳しくはブログを通じて報告します。

今回の活動ははじめの一歩です。この「バガノールの病院に医療機器を」は継続して活動を続けていきます。来場して下さったみなさま、ブース運営に協力してくれたみなさま、本当にどうもありがとうございました!

2010年5月2日日曜日

春の嵐とデザート

先月からの風邪がなかなか治りません。外はだいぶ暖かくなってきているのですがどうも調子が良くないです。日本だと五月は花粉が納まり絶好調の時期になるので頑張りたいです。

モンゴルの春は風が強いです。まさに春の嵐、とまでいかないですが、砂埃が街中に舞い視界が悪くなります。冬は大気汚染、春は砂埃。UBの空気は本当に過酷だと思います。



写真は職場から撮影したスフバートル広場。砂埃と焼却灰が舞い、なんだか混沌とした風景になります。こういう日に外を歩くと目が痛くなります。髪がごわごわになります。耳の中がざらざらします。



写真はボーヲという食べ物(上)とプリン(下)です。ボーヲは最近よく買って食べてます。ちょっともっちりとした食感のするドーナツで、小腹がすいたときに重宝します。私は体重が落ちてくるとこのボーヲを寝る直前に二個くらい食べて寝太りするようにしています。

プリンは体調が悪いので自分へのプレゼントで初めて買いました。ものすごくこってりしていて、このまま食すよりはパンにぬって食べたほうがよさそうな味でした。食べた後に喉が渇きます。たぶんもう買わないでしょう。モンゴルではまだあまり美味しいデザートにであっていません。探してみます。ドイツのミルヒライスは美味しかったなぁ。


(ミルヒライス)

読んだ本や聴いたCD、その他もろもろ記事が溜まっています。近々更新します。

2010年5月1日土曜日

察する民族

日本人は「察する」民族と言うような言葉をモンゴルに来てからよく聞きます(特にO隊員から)。まぁモンゴル人は察しないからね。モンゴル人に限らずだけれども。

ただ最近この「察する」ということがどうも誤って解釈されているような気がします。本来「察する」というのは「気配り」が出来ることと同義だと思います。気配りとは、気付かれないように、もしくは気付かれても何事も無かったかのように、相手の人のことを考え心を使うことだと思います。それがいつの間にか「察する」ことは「空気を読む」こと、そういう意味で捉えられるようになってしまったと思います。

「空気を読む」ことは実はとても高度なコミュニケーション力が必要で、誰にもで出来ることではないと思います。適切な例えでは無いかも知れませんが、欧米の人には要求できないスキルです。それが日本では当たり前のように誰もが出来るスキルとして要求されてしまっている。つまり察する民族なのだから空気が読めて当たり前だと。そこに日本人の不幸があるのではないかと考えています。

何でこんなことを突然書き始めたかというと、最近立て続けに日本の年間自殺者数が10年連続3万を超えたというニュースを目にしたからです。主な原因は「失業」とされています。勿論、失業だけでなく、失業に関連した問題があるのだと思います。ただ失業率が日本より高い国はたくさんあるのに、日本より自殺者の多い国はありません。そう考えると、日本社会固有の性格に原因の一因があるような気がします。その固有な性格に「空気を読」まなければならないコミュニケーション問題が隠れているような気がするのです。

「空気を読む」ことは高度なコミュニケーション力が必要と書きました。そしてそれが要求されることにより緊張とプレッシャーが圧し掛かってしまう社会になってしまったのではないかと思います。(全てではありませんが、いじめの構造もこの緊張とプレッシャーに関係があるように思います。)そして当然のように、緊張とプレッシャーに耐えられない、または耐えたくない人が出てきます。そういう人は自然(防衛本能として)とコミュニティから離れたり、疎外されたりするようになると思います。あるいはアイデンティティが分からなくなってしまうくらい耐えてコミュニティに残るのだと思います。その結果、自分とコミュニティとの接点の希薄化が起こるのだと思います。

人は社会的動物である。アリストテレスのこの言葉は、人はそれぞれの社会に果たす役割がありその結果社会は成り立つものであると解釈されます。これは社会との接点をもつことが人間として自然な姿であると言い換えられます。そして自分とコミュニティの接点の希薄化が起こることは、社会に通じる回路が閉ざされるに近いことです。別にここまで考えなくとも、社会との接点の無い孤立した状況が耐え難いものであることは想像がつくと思います。だからこそ、自殺の防止対策に"他人との関わり"を重視するメンタルヘルスが有効であると言われています。

「察する」ということが「空気を読む」ことと誤解され、それが要求される社会を高度コミュニケーション社会と考えました。そしてその社会に適応できない、したくない人が徐々に孤立化していくのではないかと考えました。これは「生きづらさ」そのものなのではないかと思います。孤立化が経済的貧困と結びつき、その最悪の結果として自殺にいたるのではないかと考えました。

今回はいつもより長めに書きました。また加筆補正するかも知れません。