2011年1月26日水曜日
65DAYSOFSTATIC@リキッドルーム
今年に入ってから1日に1回は聴いている65DOS。待望の来日公演にいって来ました。会場はリキッドルーム。この会場は秘密集会っぽい雰囲気があって好き。再来月にはたむらぱんもここで観る予定。
ライブはとてもカッコよかった。CDで聴くよりも圧倒的に筋肉質な演奏で、音がとても力強かった。間違いなくライブで本領を発揮するタイプのバンドだと分かった。やっぱりライブはいい。どうしようもなく疼く。
セットリストもベストな内容。ブレイクビーツでフロアを盛り上げたり、ウォールオブサウンドな重厚なインストが聴けたりと大満足。アンコールを含めて約1時間半。あっという間に終わってしまった。帰りに、次はモグワイを観にいきたいと思った。
2011年1月24日月曜日
心事に筆がとどきにくい
司馬さんの『世に棲む日日』を読書中。うちには同氏の『竜馬が行く』『翔ぶが如く』などの名作が単行本であって、これもう宝物で、大切に大切に読んでいます。
「このあたりの松蔭の心事になると、小説の筆では本来、とどきにくい」(『世に棲む日日』第1巻本文より)
改めて司馬さんの本を読むと、その面白さは勿論のこと、格調の高い文章にひんやりとさせられる。「小説の筆では心事にとどきにくい」とは一流の翻訳家ならどう訳すのだろうと考えてしまった。司馬さんが原稿用紙に向かっている姿が思い浮かぶ文章だ。
短期間に集中して本を読むことによって、また新しい本の楽しみ方が見えてきた気がする。人は誰でも一生のうちに"本を読むまとまった時間"をとったほうがいいと思う。必ず貴重な財産になる。
天国と地獄
今夜は久し振りの雨。ぱらぱらと本降りではないけれど、乾燥した日が続いたので慈雨となった。雪に変わるかなぁ。
今日は黒澤明監督の「天国と地獄」を観てきた。昨年から続いている「黒澤監督生誕100周年記念上映会」も大詰めで残す作品は「影武者」のみ。
この記念上映会で初めてまともに黒澤作品を観るようになった。黒澤作品は、映画監督などの映画関係の仕事を目指す人は必ず観なくていけないものだと思う。今の時代に、これほど面白く、そして考えさせられる作品を残せる監督は思いつかない。
まずはNHKでも民放でもいいから年に2回くらいは黒澤作品を放送したらいいと思う。国民的な監督なのにここまでTVから無視されているのはどうかと思う(もし年に2回もやってたらごめんなさい。その場合は4回に)。寅さんだって正月の風物詩になっているんだから。
次は小津安二郎監督の上映会を期待している。もっともっと日本の名作を観てみたい。
2011年1月23日日曜日
「エリックを探して」「その街のこども」「ソーシャルネットワーク」
先週観にいった映画。どれも良かった。
いま一番ホットな「ソーシャルネットワーク」。劇中の「ショーン・パーカー」(ナップスターの創業者でフェイスブックをブレイクスルーさせた人物)がカッコよかった。役柄のイメージが近そうなホリエモンではあのカッコよさに辿り着けないと思う。あとトレント・レズナーによるサントラも最高にカッコよかった。
阪神淡路大震災から15年。自分はその時高校生で、ボランティアにいこうと思いながら行かなかった負い目がある。ボランティアとか福祉という言葉に意識が向かい、それから自分の行動が劇的に変化するきっかけになった。主演の森山未来さん、佐藤江梨子さん、ともに自然な演技がいい味をだしていた。
ケン・ローチ監督の最新作。ブリットポップ期の英国コメディーを思い出す作品だった。イギリス人のフットボールに対する愛情と、パブ文化をとても懐かしく感じた(留学経験があるので)。それにしてもイギリスは中年のビールでお腹がぽっこりとでた役者さんの質が高い。というか人材が揃っている。そっちのほうがジェントルマンよりもイギリスらしさを表現している気がしてならない。
いま一番ホットな「ソーシャルネットワーク」。劇中の「ショーン・パーカー」(ナップスターの創業者でフェイスブックをブレイクスルーさせた人物)がカッコよかった。役柄のイメージが近そうなホリエモンではあのカッコよさに辿り着けないと思う。あとトレント・レズナーによるサントラも最高にカッコよかった。
阪神淡路大震災から15年。自分はその時高校生で、ボランティアにいこうと思いながら行かなかった負い目がある。ボランティアとか福祉という言葉に意識が向かい、それから自分の行動が劇的に変化するきっかけになった。主演の森山未来さん、佐藤江梨子さん、ともに自然な演技がいい味をだしていた。
ケン・ローチ監督の最新作。ブリットポップ期の英国コメディーを思い出す作品だった。イギリス人のフットボールに対する愛情と、パブ文化をとても懐かしく感じた(留学経験があるので)。それにしてもイギリスは中年のビールでお腹がぽっこりとでた役者さんの質が高い。というか人材が揃っている。そっちのほうがジェントルマンよりもイギリスらしさを表現している気がしてならない。
2011年1月21日金曜日
『身体知』
今日の一冊『身体知』。内田樹氏と三砂ちづる氏の「身体とコミュニケーション」に関する対談本。内田さんの対談本は、両者がとてもいい気分で話を進めている感じが伝わってきて、こちらも穏やかな気持ちで読み進めることができる。
身体能力を高める着物の効用について。
「着物を着ていると、洋服の場合よりも身体の使い方に意識的になりますね。自分がこれからどういうふうな空間をどういうふうに移動するか、それをしっかり予測しておかないと動けないから~~」(本文より)
着物は、その艶やかさから視覚的特徴に注目が(特に海外では)集まりがちな気がする。でもその効用に意識を向けるともっと驚かされる発見がある。それは伝統文化の歴史体験に感動するような体験なのかも知れないと思う。こういう知識は繋げていきたい。
話⇒転
「身体とコミュニケーション」ということで、モンゴル人から学ぶべきだと常々考えているコミュニケーションがある。(ブログで何度か紹介しているかも)
モンゴルでは混雑しているバスや街中で、誤って人の足を踏んでしまうことがよくある。そのときモンゴル人は踏んでしまった相手の手を握って"ごめんね"の意思表示をする。
最初は急に腕を掴まれたりするので慣れなかったけど、しばらくするとこちらからも同じことができるようになった。むしろしないと気持ち悪いくらい。
これは「謝意」のほか「私はあなたの敵ではありません」の意味があるらしい。内田氏の本で武術の本意とは「敵を作らないことにある」と読んだ気がする。そういう意味でもとても優れたコミュニケーション方法だと思う。
日本では昔、武士同士が道でお互いの鞘がぶつかると「無礼」といって斬ってしまうのが当たり前だったそう。(本文の内容)だから鞘の先端まで「自分の身体」として意識が及んでいたらしい。斬るという行為はいまの時代ではどうかと思うが、身体が鋭敏なコミュニケーションと結びついていてはっとさせられた。
2011年1月20日木曜日
『身体を通して時代を読む』
今日の一冊。内田樹氏と甲野善紀氏の対談本。タイトルの通り"身体"を通して幅広い領域の事柄についての両氏の意見交換がなされている。ちなみに内田氏の本はこれで5冊目くらい。徐々にタツラー化してきています。
この本も、少し前に紹介した羽生さんの本と同様に、あとがきまで最高に面白くとてもためになる内容だった。本にはずれは無いと思っているのだけど、最近読む本は当たりが多い。
たくさん頷いたところ。
「応用というのは、一見すると関係なさそうなものの間の関係性を発見するということなんです。一度そのやり方を覚えると、後はどんなものでも繋ぐことができる。」
学校教育でなされる知識の分化に対する批判。単体としての知識を学習することよりも、知識と知識の有機的な関連の発見を重視する体験的な学習を勧めている。
私は、読書も体験するものじゃないかと考えている。そして体験の積み重ねがアーカイブされ、身体のなかで発酵するところに読書による人間形成があると思っている。この発酵する体験を知ってしまうと読書はやめられなくなる。
内田さんは変人だと思う。著作権を放棄しているところもそうだし、文章の言い回しがなんか仙人っぽい。そして、これだけの変人が多くの人から指示を集めているのは面白い時代の証明のような気がする。単一な価値観が支配していたちょっと前の時代には考えられなかった現象だと思う。
2011年1月19日水曜日
TVゲーム三日坊主
大垣共立銀行。ワクワク感。
(日経ビジネス:2011.1.10)
久し振りの今週の日経ビジネス。先日、女性顧客満足が2位に躍進したことで日経新聞でも紹介された大垣共立銀行。従来の銀行のイメージを壊した面白い取り組みをしている。
他業種で働いた経験のあるスタッフがその経験を活かし、顧客へのさまざまなサービスを開発してる。コンビニ、美容院、ファーストフード、ホテル、メーカー、テレビ局などその業種は多岐に渡る。
本文では「「非効率経営」の時代」の代表例として紹介されているが、生き残るための変化として、多様性を取り入れた具体的な成功例なんだと思う。もちろん顧客分析、自社資源分析などの経営戦略をしっかり立てているを前提として。
話⇒少変
銀行と同質の変化が迫られる業界として不動産業界があると実は密かに考えている。理由は"中間に立つ"という仕組みが何となくにているから。そして銀行が直接金融の時代に直面したように、直接賃貸という可能性も考えられるから。
そのことを不動産業界に働く友人に話してみた。業界を"地域に根ざし、その地域に精通するもの"として評価すると色々なビジネスの可能性が浮かぶことに気付いた。ツーリストインフォやゲストハウスなど、特に観光ビジネスに立脚したサービスが次々に思いつく。
友人と話しながらワクワク感がとまらなかった。アイデアが出すだけならタダ。本当に次から次に湧き出てくる。
こういう"ワクワク感"はとても大切だと思う。ワクワク感を持ってみる世界は、そうでないときとはまた違ってみえる。ポジティブ思考という言葉は、その意義の重要性は認識しつつも私にはあまり馴染まない。意味合いは異なるが、このワクワク感をポジティブ思考の代替として用いたりもしている。
話⇒戻
大垣共立銀行の記事からもワクワク感を感じた。例えばATMにルーレット機能を持たせるなんて楽しすぎる発想だと思う。行き詰まりを感じさせる時代だからこそ余計に必要な感覚なのかもしれないと思った。
大学では学問を。学生はグローバルに。
大学生の就職状況に関する最近の記事。今年度卒業予定の学生の内定率68%。企業は卒業後3年間は既卒者を新卒者として扱う、という内容。
(日経新聞:2011.1.19朝刊)
(日経新聞:2011.1.18夕刊)
(日経新聞:2011.1.18夕刊)
企業での人事経験があることや、自分自身も就職氷河期世代であることから学生の就職状況に関心を持っています。
まず、企業が既卒者を新卒者扱いする最近の動向は一歩前進したなと思う。「新卒」という枠に捉われないより柔軟な採用に進むべきだと思っている。多様な人材確保は企業の競争力にも貢献するものだから。
そして企業以上に改善する必要があるのは間違いなく大学だと思う。「就職予備校」と揶揄されるくらい就職活動に力を入れる大学が増えているが、それ自体が誤った改革だと思う。
大学は学問をする場。学生以上に、大学自身がこのことを反省しなくてはいけない。学生が勉強しなくなったという声をよく聞くが、その原因は大学の無計画な経営戦略にあると思う。18歳人口の減少に対する場当たり的な対応の結果とも言える。
とはいえ、学生時代に勉学に励んでいる学生はもちろんいる。そういう学生は進路も着実に切り開いている。採用する側もそれくらいは見抜く目を持っている。基本をしっかり守っている人は強いということだろう。
あと、大学の責任でない部分で、学生はグローバルな視野を持たないとこれから否応なしに巻き込まれる競争で苦戦することになる。
一つはアジアからやってくる(または海外の場で)学生たちとの競争。アジアの学生たちとの一番の差は、環境依存資質でハングリー精神が違うこと。ハングリー精神は大抵の才能をカバーしてしまう勢いがある。
もう一つは小学校から英語教育をしてきた世代との競争。今の30代以降の一般的な世代が、今の学生たちとITに対する基本的な距離感が違うように、今の学生とこれからの学生も英語に対する距離感は違ってくると思う。
このような認識を持って、学生にはいち早く海外に飛び出してみることをお勧めしている。個人的な経験では大学入学前に海外に飛び出してみることを強く勧めている。そうすると大学で学ぶことが100倍楽しくなると思う。
(日経新聞:2011.1.19朝刊)
(日経新聞:2011.1.18夕刊)
(日経新聞:2011.1.18夕刊)
企業での人事経験があることや、自分自身も就職氷河期世代であることから学生の就職状況に関心を持っています。
まず、企業が既卒者を新卒者扱いする最近の動向は一歩前進したなと思う。「新卒」という枠に捉われないより柔軟な採用に進むべきだと思っている。多様な人材確保は企業の競争力にも貢献するものだから。
そして企業以上に改善する必要があるのは間違いなく大学だと思う。「就職予備校」と揶揄されるくらい就職活動に力を入れる大学が増えているが、それ自体が誤った改革だと思う。
大学は学問をする場。学生以上に、大学自身がこのことを反省しなくてはいけない。学生が勉強しなくなったという声をよく聞くが、その原因は大学の無計画な経営戦略にあると思う。18歳人口の減少に対する場当たり的な対応の結果とも言える。
とはいえ、学生時代に勉学に励んでいる学生はもちろんいる。そういう学生は進路も着実に切り開いている。採用する側もそれくらいは見抜く目を持っている。基本をしっかり守っている人は強いということだろう。
あと、大学の責任でない部分で、学生はグローバルな視野を持たないとこれから否応なしに巻き込まれる競争で苦戦することになる。
一つはアジアからやってくる(または海外の場で)学生たちとの競争。アジアの学生たちとの一番の差は、環境依存資質でハングリー精神が違うこと。ハングリー精神は大抵の才能をカバーしてしまう勢いがある。
もう一つは小学校から英語教育をしてきた世代との競争。今の30代以降の一般的な世代が、今の学生たちとITに対する基本的な距離感が違うように、今の学生とこれからの学生も英語に対する距離感は違ってくると思う。
このような認識を持って、学生にはいち早く海外に飛び出してみることをお勧めしている。個人的な経験では大学入学前に海外に飛び出してみることを強く勧めている。そうすると大学で学ぶことが100倍楽しくなると思う。
2011年1月17日月曜日
獨協大学
東京、今朝の気温-0.2度。寒い。先一昨日は初雪も降った。本格的な冬の寒さに身が引き締められます。今日はモンゴル祭りで協力してくれたDecoメンに会いに獨協大学に行ってきました。
現役獨協生の9割は利用しないという正門をくぐって入校。「大学は学問を通じての人間形成の場である」。創立者、天野先生のお言葉にもきちんと挨拶。獨協生は近道をしないでみんなこの正門から通学すべきだと思う。それくらい価値のある言葉なのに。
Decoの部室に行き、現役メンバーに会う。もう13代目。ここまで続いてきたこと、そして以前よりメンバーも増え、活発に活動している様子を見て嬉しくなる。自分が現役だった頃の名残もいたるところに見ることができた。特に、壁に「Project Map」が貼ってあったことにビックリ。自分がつくったものが今も活きているなんて。
モンゴル祭りに協力してくれた3人とお昼を食べながら少し話をすることができて良かった。みんな今年4年になるのだけど、それぞれ進路を切り開いていくんだっていう姿勢が感じられた。頼もしいし、応援したいなと思った。
その後、お世話になったゼミの先生に挨拶をしに研究室へ。アポなしの訪問だったけど先生に会うことができて良かった。自分自身の進路報告をしてきた。相変わらずの穏やかな雰囲気に少し癒された。
本当に久し振りの母校訪問。建物が新しくなり見た目はだいぶ変わってしまったけど、やはりこの大学が大好きだと実感した。10年近く前にこの場所で全力で活動してきた自分の姿を思い出した。元気を充電した一日となった。
2011年1月15日土曜日
井村雅代×胡錦濤
1月15日朝のNHKラジオ。シンクロの母、井村さんが出ている。とてもいい話をしている。
中国のナショナルチームのコーチに就任し、チームをメダル争いに参加できる世界トップレベルに育て上げた。その貢献に対し、当時の国家主席、胡錦濤氏が井村さんへ感謝の意を述べに練習会場に足を運んだそうだ。
その会話の中で、胡錦濤氏は井村さんの指導への感謝とともに、日本との友好関係に対する貢献へも謝意を表したそうだ。国のトップにいる人物が外国人のコーチに対して自ら訪問するというのは大物の行為だと思う。彼が牽引した近年の中国の成長が納得できる。ちなみに日本の政治家が練習会場に井村さんを訪問したことはないそうだ。
日本と中国の最近の関係についても指摘している。今の問題を「複雑な問題」と捉えるのではなく「ただの問題」と捉えるべきだと。だからこそ解決できるという気持ちで臨まなくてはいけないと。そして、日本のマスメディアで流されている情報は正しい部分はあるが、そうでない部分もあることをしっかりと把握しないといけない。そう仰っている。
その他、お話を聴いていて、プロの指導者とはこういう人のことをいうのだと思った。すごい人だ。
『ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ』
モンゴル国立大学でも教鞭を執られていた田崎氏の経営戦略に関する一冊。ここ最近読んだビジネス書籍のなかで抜群に面白く、とてもためになる内容だった。定価1400円以上の価値が間違いなくある。
「(経営)資源の有効活用」「選択と集中」「顧客思考による価値創造」グローバルビジネスの定石と言われる内容が「断捨離」のコンセプトに添う形で明瞭に説明されていて分かりやすく覚えやすい。
また、数年前に出て少し話題となった『ブルー・オーシャン戦略』と併せて読むとさらに理解が深まるとも思った。
本書を読んで、日本の労働時間に比する国際競争力が高くない理由が分かった気がする。ROEやROAに対する意識のゆるさが関連しているのではないか。そして「断捨離」を実践できる経営者(政治家)が一番必要なのは日本という国だと思った。
2011年1月13日木曜日
『結果を出し続けるために』『羽生善治の思考』
同時期に出版された羽生さんの本を二冊読みました。出版時期が被っていただけに重複する箇所が多かった。それでも二冊とも最後のあとがき(一冊はあとがきなし)まで抜群に面白い内容だった。
羽生さんの言葉は含蓄があって、その味をじっくりと咀嚼しながら読み進めることができる。読みながら思考が活発に働き始める。その感覚が心地よい読書体験になる。
毎回、羽生さんの本を読んでいて思うのだが、羽生さんは将棋以外のことに対するアンテナが幅広く、そして関心を持った事柄に対する洞察が深く、鋭くて驚かされる。超一流の道は全てに…ということなんだろう。
印象に残ったところ。
「私は常々、「美しい棋譜を残したい」と言ってきた。」「価値基準は決して絶対的なものではないけれど、美しさを求めることが大切。」(『羽生善治の思考』本文より)
「「ツイていない人の逆に張れ」という言葉もあります。しかし、これも一つの方法論なのでしょうが、私は人道的にどうかということで、美意識の問題として絶対にやりません。」(『結果を出し続けるために』本文より)
将棋や生き方に対する美意識を捉えた羽生さんの言葉。ほぼ全頁にラインを引くくらいためになる本だったけど、この「美意識」が一番印象に残った。私が、将棋の世界をそれほど知らなくても、将棋や棋士に惹かれてしまう理由はここにあるのだと思う。
読書とは、何を感じ、どういう言葉を自分のなかに残すのか、ということだと考えている。そういう意味で羽生さんの本を読む読書体験はとても実りある「読書」となる。
2011年1月11日火曜日
肌で感じる『時間』(あやさんのブログから)
再考、ストレングスファインダー「収集心」
何度かブログで紹介しているストレングスファインダー。自身の強みを認識し、それを伸ばすことで仕事などの成果に繋げるという理論。
私のストレングスは「運命的思考」「収集心」「内省」「調和性」「親密性」。どれも客観的に考え、なるほどと思う内容です。
ただ、このうち「収集心」が少し変化してきているように感じます。「収集心」は簡単にいうと引き出しの多い人間のこと。自身の情報(有形無形問わず)アーカイブを構築し、必要なときに必要なものを出せる能力。
確かに、情報を収集することは苦にならないのだけど、それを整理したりするのはそれほど得意ではない。ましてモノはあまり持たないように心がけている。
そこで思ったのは「収集心」より「好奇心」の方がしっくりくるということ。そもそも「収集心」を支えているより高次の才能は「好奇心」ではないかと。
私は、新しい発見が大好きで、休日は家にいるよりは外にいるタイプだと思う。そして多趣味で、いろんなことに関心が向くし、一度は試してみないと気がすまない。子どもの頃から一貫して好奇心は強いほうだと思っている。
「好奇心」があるおかげで、足取りが覚束ない生き方をしていると思う。けど、それはそれで楽しいのでやめられないとも思う。これからも「好奇心」は強みとして持ち続けるつもりだ。
2011年1月10日月曜日
『荒廃する世界のなかで』
今日の一冊。ハンナ・アーレント賞受賞学者トニー・ジャレット氏の遺作となる『荒廃する世界のなかで』。人名などの脚注が多く、読み進めるのが難しかった。本気で読まないと深い理解に到達できないと感じる一冊だった。
印象に残った箇所。知識人へ対する批判として。
「他人とは異なる見解を保持し、怒っている読者や賛同していない視聴者に向かって、それを主張してゆくのに必要な精神的勇気が、今や至るところで払底しているのです。」(本文より)
「何が正しいか間違っているかを他人に納得させようとすれば、わたしたちに必要なのは方法の言語ではなく、目的の言語です。」(本文より)
先日読んだ田原さんの本を思い出した。本文で55年体制以降の錚々たる政治家が登場するが、彼らに欠けていたのは「精神的勇気」や「目的の言語」だったのではないかと思う。また、それを批判するマスメディアも同様に。
話⇒転
副題に「これからの「社会民主主義」を語ろう」とある。読んでいてたえず「ブータン」が脳裏に浮かんだ。本書で捉えている「社会民主主義」な国家とは、(行ったことはないけど)GNHを豊かさの指標として持ち、政治を行うブータンのような国家なのではないかと思う。
2011年1月9日日曜日
暗号のローカル 読み解かれない鍵語(西本さんのブログより)
友人が取締役として参与しているJAM(Japan Area Management)の代表、西本千尋さんのブログが面白い。今日(1月9日)のブログはちょっと衝撃を受ける内容だった。
タイトルは「暗号のローカル 読み解かれない鍵語」。ここですごいことを書いている。
「日経春秋を読んでたら、栃木県鹿沼の記事でM君よかった、すごいじゃんって思った。でもできる限り、わかりやすいまちづくり運動となって成功事例集に載らないでそこから逃げてほしいとも思った。」(本文より)
「わかりやすさ」から逃げるという意識。これはロックだと思う。
複雑なことを「わかりやすさ」におとしこむことと、「わかりやすさ」に回収されない意味を"もつ"こと。どちらも才能だと思う。特に後者はよっぽど鋭意な批判思考を持っていないと成し得ない。だからこのブログを読んですごいと思った。
こういう才能を尊敬して已まない。言葉が強烈に身体の心を貫く。あぁ、何ておもしろすごいんだと笑ってしまう。広い。
タイトルは「暗号のローカル 読み解かれない鍵語」。ここですごいことを書いている。
「日経春秋を読んでたら、栃木県鹿沼の記事でM君よかった、すごいじゃんって思った。でもできる限り、わかりやすいまちづくり運動となって成功事例集に載らないでそこから逃げてほしいとも思った。」(本文より)
「わかりやすさ」から逃げるという意識。これはロックだと思う。
複雑なことを「わかりやすさ」におとしこむことと、「わかりやすさ」に回収されない意味を"もつ"こと。どちらも才能だと思う。特に後者はよっぽど鋭意な批判思考を持っていないと成し得ない。だからこのブログを読んですごいと思った。
こういう才能を尊敬して已まない。言葉が強烈に身体の心を貫く。あぁ、何ておもしろすごいんだと笑ってしまう。広い。
OOIOO*OGRE YOU ASSHOLE
OOIOOのライブにいっていた。会場は吉祥寺クラブシータ。ここは初めてのライブハウス。フロアが喫煙OKでちょっと怖かった。ライブハウスで喫煙は危ないと思うな。
前座で演ったOGRE YOU ASSHOLEがすごく良かった。まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなカラフルな音。ソニックユースばりの前衛的なギター音。実力を感じさせる演奏だった。これからアルバムをじっくり聴いてみたいと思う。
OOIOOは説明不要の最高のライブバンド。このブログでも何度か紹介している。今夜も素晴らしかった。特にドラム&ベースのリズム隊が際立っていた。調子にのって最前列で聴いたらギターアンプが近すぎて途中から耳が痛くなった。これからは気を付けようと思う。
2011年1月7日金曜日
棚卸しと『第二音楽室』
今の気温は0度。今日の東京はとても風が強く寒い一日だった。
最近は銭湯にはまっていて、特に気持ちをさっぱりさせたい時にいきます。熱いお風呂にゆっくりとつかり、そのあと水風呂で身体を冷やして、また湯船へ。それを3回くらい繰り返します。
水風呂で身体を冷やしながら、色々なことを考えます。これまでにしてきたこと、これからしたいこと。自分は何をもっていて、何をもっていないのか。必要なことは何か、しなければいけないことは何か。などなど。浮かんだ思考を水に流すように棚卸しします。
東京の銭湯は450円。ちょっと前と比べるずいぶん高くなったけど、じゅうぶん元はとれたかな。
今日の一冊。『一瞬の風になれ』の佐藤多佳子さん新刊『第二音楽室』。
登場人物たちが音楽で繋がっている短編集。やわらかい文章なので脱力した感じで読める。最近はちょっと考える本を読んでいたので、よい息抜きをすることができた。本っていうのは本当にすごい。それぞれの本がそれぞれの効用をもたらしてくれる。
まだ迷っているけど、明日はOOIOOのライブがある。彼女たちは一番好きなライブバンドなので観にいきたい。
2011年1月6日木曜日
『今だから言える日本政治の「タブー」』
私が信用している数少ない「テレビの人」の一人、田原さんの「サンプロ」での21年間を振り返る一冊。
ニュースや新聞だけでは本当のことは何も分からない。分からないだけならまだしも、恣意的に切り取られた情報によって私たちはコントロールされている。改めてメディアリテラシーの大切さに気付かされる。
私がテレビを見ない理由は、テレビは一方的で、商業主義で、上述したように報道のあり方が暴力的に感じるから。でも、本書を読むとテレビに映る「ノイズ」(本筋以外の映像。例えばアナウンサーの服とか)が、文章以上に真実を物語ることがあることが分かる。少し偏見を捨てられた気がする。
また、55年体制以降の政治の流れを、主要な政治家の人物像を通じて追うことができる。まるで歴史小説を読んでいるような面白ささえ感じる。
「サンプロ」が終わってしまったことは本当に残念。あれだけ稀有な番組はもうつくられないんじゃないかと思ってしまう。
2011年1月5日水曜日
日本版ギャップイヤー
(日経新聞朝刊:2011.1.5)
JICAが日本版ギャップイヤーを提言するらしい。ギャップイヤーとは英国で普及している制度で、大学入学前の1年間をボランティアやバイト、語学学習に充てるというもの。
日本版ではJICAが提言することもあり、海外でのボランティアや医療、福祉の現場で働くことを奨励するようだ。
こういった制度、というか考え方が根付くの基本的にいいことだと思う。生き方の多様性に繋がる。ただ、すこーしだけ「おせっかい」かな、とも思ったりする。
10代後半は「自分探し」をしたくなるものだと思う(私の世代はきっとそう)。制度が無くたって、むしろ制度が無いからこそ、冒険心のような気概を持って「冒険」ができるのだと思っている。
全く個人的な話だけど、私自身、大学入学前に1年間英国留学し、そこで語学学習やボランティア、異文化体験をしてきた。制度があっても無くてもそうしただろうけど、制度が無かったぶん自分で道を切り開いている感覚を掴むことができた。
就職に関しても、1~3年の遅れははっきり言って無いに等しい。要は学生のうちに何をし何を学んできたかが勝負所。差が着くのはそこ。ギャップイヤーの有無と就職はそれほど関係しない。
話⇒少飛
大学は全入時代になってそれぞれの個性が極端に無くなってきた気がする。制度化されるということは、気をつけないとそういう危険性も孕んでしまう。多様性を求めた結果、逆効果が表れる可能性も、ということ。
今回の提言はそこまで話は飛躍しないと思うが、少し気になったので書いてみた。
『はやぶさの大冒険』
今日の一冊。母校、獨協大学の先輩でもあり、現在同大学の特任教授を務める山根一眞氏の『はやぶさの大冒険』。こんな素晴らしい文章を書く先輩がいることを誇りに思える一冊です。
「はやぶさ」が注目されるだいぶ前から、その意義の重要性と、それを伝えることの必要性を確信し、並々ならぬ熱意と好奇心でもって取材を重ねてこられたことが、本の隅々から感じ伝わってくる。
専門的な内容を、正確さを損なうことなく、素人が一読して充分に楽しめる分かりやすさに落とし込んでいる。すごいの一言。一流のノンフィクション・ライターの仕事とはこういうものなんだと思う。
本書で印象的だったのは、はやぶさチームのメンバーが「はやぶさ」から「はやぶさの意志」を感じ取っていたところ。
昨年、ロボットに関する書籍を何冊か読み、人間とロボットの関係に深い関心を持つようになった。「こころ」とは何か。機械は「ココロ」を持つことができるのか。自然とそういう文脈に思考を引き寄せられてしまった。
話⇒変。
母校、獨協大学についても考えた。獨協大学はとてもいい大学である。正門をくぐってすぐのところに創立者天野天祐氏の碑文ある。
「大学は学問を通じての人間形成の場である」
毎朝、近道である裏門に回らずにこの碑文に出合うために正門から通学した。今以って身を引き締められる思いがする。
近いうちに山根先生の講義へもぐりに大学へあそびにいこうと思う。
2011年1月4日火曜日
新年のご挨拶
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